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    秋の井上神社

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    井上城址

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    舩橋楽器資料館

最新情報

水道工事の実施により通行規制が行われます。
10月17日に井上町神明社の秋例祭を執り行います。
「こども秋祭り」と「子ども獅子町内練り歩き」は中止いたします。

《井上町区の概要》

 

岩倉市の北部、名神高速道路より北、五条川から東の地域に位置しています。230世帯530名ほどの小さな地区です。四季折々の五条川沿いの散歩コースは健康作りに最適、名鉄石仏駅へ徒歩10分と近く、名古屋駅周辺までdoor-to-doorで30分で行けます。代々この町で生活されてきた方々、新しく生活の基盤をこの地に作られた方々との融合を図り、村の歴史や伝統を守りつつ新たな文化の継承に向け努力しています。

《歴史と文化》

井上村(現井上町)の起源

昔から幼川(おさながわ)(現五条川)のほとりに清水の湧く所があり旱魃(かんばつ)の時、この井戸に雨乞いをして水を浚え清(さらきよ)めれば必ず雨を降らせてくれたという。この井戸を中心として村ができ、やがて井上村(いのうえむら)と呼ばれ又この辺りは井上庄(いのうえのしょう)と称してその元村にあたるのがこの村だという。

今から千年以上も前、人々はこの井戸を祀り「井出の宮・井出神社」として尊崇してきたと言われている。

井上町の古地図1845年(右の地図の赤枠内に概当します)

 井上城について

井上城関係で最も古い文章は、井上町の伊藤家に所蔵されているものがあり、それには貴籍と題されるものがあり、それによると応永(おうえい)(1394年)から喜吉(かきつ)(1441年)にかけて、井上村に有馬主殿正が城をかまえて井上荘十七ケ村を領有していたと記されている。

当時、尾張の守護代は下津城主(現稲沢市)の織田郷広(おださとひろ)であった。尾張国内の統一を計ろうとする郷広は井上城主有馬主殿正に帰順を命じてきた。更に、家老伊藤源内も重ね重ね帰順を進言したが応ぜず、却(かえ)って退け守護代に反したので、守護代織田郷広に攻められ喜吉(かきつ)元年(1441年)遂に落城した。家老伊藤源内は主君有馬家代々の菩提を守るため井上村に居を定め農に帰することを決意した。現在の伊藤家一族はその源内の子孫であり伊藤勝啓(いとうまさひろ)家が本家である。

《井上町の今昔》

1600年代(寛文)戸数15軒・人口80人、1912年(大正元年)28軒・192人、平成29年175軒・440名となっている(行政区の八剱町の一部は除く)