- 行政区名
八剱町
( やつるぎちょう )- 写真1
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1.八剱町の概要
岩倉市の北部に存在する町。矢戸川と五条川に囲まれた扇状地。国道155号線と名神高速道路が東西に走り陸上交通の要衝。
“尾張地名考”には“村名は本国の神名に出たり”とあり、八剱の名は八剱社から出たと思われる。
明治39年岩倉町が誕生。当時の旧岩倉町(岩倉)、幼村(石仏、八剱、神野、井上)、豊秋村(岩倉羽根、曽野、大地、川井、大山寺)、島野村(北島、野寄)が合併。従って、かつては八剱は幼村と呼ばれていた。そして五条川を“幼川”と称していた。
その五条川には毎年桜の花を見に多くの人が訪れており、自然豊かな町です。また、ショッピングセンター、医院が近くにあり住みやすく便利な町です。
人口:3,646 人(令和8年2月1日)
世帯数:1,713 世帯
面積:1,104,562㎡(岩倉市内で最大)
小学校区:五条川小学校(脇之本地区以外)、東小学校(脇之本地区)
2.歴史/文化
1)八剱神社

祭神は日本尊守と素戔嗚尊である。正保八年(1646年)建立と思われる。境内末社には、弁天社、秋葉社、琴平社、津島社がある。祭日は4月15日であり、かつては“水かけ祭り”という珍しい行事があったとされる。
因みに八剣とは、
黄金剣、紫煌剣、十字剣、白朧剣、紅蓮剣、幻夢氷翔剣、雷光剣、征嵐剣である。
2)七面山古墳

八剱町城屋敷にあり、現状で直径約10mの円墳である。古墳の周辺で出土した須恵器から6世紀頃の築造と推定されている。
「八剱砦跡」とも言われており、天正12年(1584)の小牧・長久手合戦の際、徳川家康・織田信雄方の砦として築かれ、織田信雄が居城したと伝わる。昭和47年(1972)の碑文調査により、天正(1573~1591)の頃織田信長の次男織田信雄の居城址と判明する。
七面山は長遠寺の飛地境内に当たり、七面山にて毎年、七面大明神大祭、読経、ご祈祷が行われている。
3)山神

郷東に“ヤマノカミ”と言われる所がある。春に山から下りてきて田の神となり、豊穣をもたらすとされた山神信仰の石碑である。天保15年(1844)に建立されたもので、高さ約2m、幅50cmあり、裏側には、八剱に織田信雄の城があったことや石碑建立の経緯が刻まれている。
昔から、このヤマノカミに頼むとデキモノが不思議と治ると言って参詣する人が多かった。
以前は小高い丘になっており、そこで“どんど焼き”(左義長)を行っていた。
4) 八剱町の遺跡
3.区内の仏閣(あいうえお順)
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称名寺 (浄土宗)
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松林寺 (真言宗)
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長遠寺 (日蓮宗)
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来迎寺 (浄土宗)